スティーブ・ペリーがジャーニーに加入したのは1977年。
今から43年前のことだ。
10年ひと昔。とよく言うが、ほんとその4倍の年月が経過している。
あと5年、私が早く生まれていたならきっとジャーニーに気付けたはず。
もしくは、私に兄か姉が居れば、違ったかも知れない。兄姉の影響とかで、洋楽をもっと聴けたかも?
写真集は、ない。
ライブ映像も、あまりない。
特に公式は少ない。
ブートレグは多少あるが、画質は良くない。
あんなイケメン時代のペリーがあまり残ってないのは、実に勿体ないことだ。
自伝を出してくれるよう、ファンレターでお願いしてみようかしら。
でも、86年脱退のことや再加入してからの98年再脱退などに触れねばならず、語りたがらないペリーだから、自伝も無理かな(涙)
けれども、彼は波瀾にとんだ人生を送っている。40代後半からは一線を退き(とはいえ、引退宣言はしていない)、引きこもる?一般人の生活をしている。
幼少期に両親が離別したり、音楽活動をするも軌道に乗らず、やっとレコード契約目前でメンバーが事故死して、契約は頓挫する。
諦めて田舎に戻ったペリーに白羽の矢があたり、ジャーニーに迎えられてからようやく陽の目を見る。。。
頂点を経験するも、維持することの難しさも知り、才能あるのに脱退をするのだ。
ソロ活動をしようとしたのが間違いだった、との見解もあるようだが私は一概にそうとも思えない。
ジャーニーの音楽路線と、ペリーの音楽路線はちょっと異なるからだ。
レコード会社からの盤石なバックアップがあれば、幻のセカンドアルバムはちゃんと発表され、お蔵入りはさせられなかっただろうし、再加入した後の人間関係にも、問題は発生しなかっただろう。
怪我をしたのはペリーの不注意かも知れないが、バンドの一番の功労者なのだからそこは手術決心を出来るまで、治るまで待っててあげて欲しかった。
話がそれてきた。
要は、昔のペリーの活躍をもっと知りたいのだ。
ペリーには、ジャーニーを名乗る権利がない。それが一番もどかしい。
いや、今のペリーには、ジャーニーの肩書きは要らない。ソロで通用する。
でも、一番輝いていた頃を、もっと出して欲しいのだ。
もっと若い世代に知ってもらう価値があるひとだと思うスティーブ・ペリー。
あの全盛期の歌声を聴いたなら、追いかけたくなるひとがもっといるはず。
あの全盛期の歌声を聴いたなら、当時好きだったひとが思い出すだろう。
もっと、ニールショーンくらい出たがりだったら…でも、あの奥ゆかしさもペリーの魅力。。。✨